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仙台高等裁判所 昭和34年(ネ)236号 判決 1961年1月14日

第二三六号事件控訴人・第二三七号事件被控訴人(第一審原告) 上野金次郎

第二三六号事件被控訴人・第二三七号事件控訴人(第一審被告) 青森県知事

主文

原判決を左のとおり変更する。

第一審被告が昭和三〇年五月二六日青森県指令第四〇五〇号をもつてなした別紙目録記載の農地にかかる訴外上野なよと第一審原告との間の賃貸借契約解除の許可処分の取り消しを求める第一審原告の請求を棄却する。

第一審原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、第二審とも第一審原告の負担とする。

事実

第一審原告代理人は、「原判決中第第一審原告の敗訴部分を取消す。第一審被告が昭和三二年八月三一日青森県指令第六五七〇号をもつてなした別紙目録記載の農地にかかる訴外上野なよ同和田ツネ間の売買による所有権移転許可処分は無効であることを確認する。もしこの請求が容れられないときは、右許可処分を取消す。訴訟費用は第一、第二審とも第一審被告の負担とする。」との判決ならびに「第一審被告の控訴を棄却する。」との判決を求め、第一審被告代理人は、「原判決中第一審被告敗訴部分を取消す。第一審原告の本訴中契約解除許可処分の取消を求める訴を却下する。もし右理由のないときは、第一審原告の右契約解除許可処分取消しを求める請求を棄却する。訴訟費用は第一、第二審とも第一審原告の負担とする。」との判決ならびに、「第一審原告の控訴を棄却する。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、左記のほか原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

第一審原告代理人は、次のように述べた。

(1)  本件賃貸借契約解除許可処分に対する第一審原告の訴願に対しては昭和三四年九月五日付で農林大臣の訴願棄却の裁決がなされ、その裁決書は第一審被告の手を経て同年一〇月九日第一審原告に送達された。

(2)  上野なよと和田ツネ間の本件農地所有権移転許可処分については第一審原告は第三者であるから訴願のしようがなかつたし、またかかる許可処分のあつたことを知らなかつたものである。

(3)  第一審被告の後記(イ)の主張は、時期に遅れたものであつて訴訟の完結を遅延させるものであるから却下されるべきであり、かりにそうでないとしても右主張は理由がない。

(4)  第一審被告の後記(ハ)(ニ)(ホ)の主張については第一審原告の従来の主張に反する部分をすべて否認する。

第一審被告代理人は、次のように述べた。

(イ)  第一審原告の本訴中所有権移転許可処分の無効、取消を求める訴についてもその却下を求める。その理由はつぎのとおりである。

本件所有権移転許可処分は農地法第三条の規定にもとづいてなされたものである。同条第二項第一号は小作地につき小作農またはその世帯員以外の者に所有権移転許可を与えることを禁止しているが、右規定に違反して行政庁が所有権移転許可を与えたとしても、小作人たるの地位にはなんらの影響はなく耕作を継続し得るのであるから、(農地法第一八条)同法第三条第二項第一号の規定により小作人の受ける利益は反射的なものに過ぎず、結局第三者に過ぎない小作農はかかる許可処分に対し自己の権利を侵害されたものとしてその無効、取消を求めることは許されないものと解すべきである。したがつてかりに第一審原告が本件所有権移転許可処分の当時本件農地の賃借人であつたとしても右許可処分の無効、取消を求める当事者適格を有しないものといわなければならないから前記訴は不適法として却下されるべきである。

(ロ)  第一審原告がした本件賃貸借契約解除許可処分に対する訴願につき第一審原告主張の日付で訴願棄却の裁決のあつたことは認める。

(ハ)  本件賃貸借は第一審原告が上野なよの関知しない間にほしいままになよの印鑑を冒用して締結されたものであるから、本来無効なものであつた。すなわち第一審原告は昭和二五年秋実母なよおよび実子京子を棄て家を飛び出して薄市に女と同棲したのみかそのころ事業に失敗してなよの居住家屋をも人手に渡すに至つたので、なよは住家の建築や生活資金を捻出するため、そのころ和田ツネに対し住吉五三番および五四番の田を事実上売渡し、昭和二六年春からはツネが右田を、なよが本件農地を各占有して耕作を続けていた。ところがその後も第一審原告はなよおよび京子を扶養しないのみかしばしば本件農地に立ち入りその収穫米を実力で取り上げるのでなよは昭和二九年一二月ころ地元農業委員会に対して妨害排除方を要請したところ右委員会で調査した結果右賃貸借締結のいきさつが判明したのである。なよは右の事実を知り大いに驚いたが、右委員会の意見にしたがい昭和三〇年二月四日右賃貸借の無効宣言を受ける意図で第一審被告に対しその解除許可方を申請したのである。

(ニ)  かりに右主張が理由なしとしても、なよは昭和二五年末ころ右五三番および五四番の田をツネに売却し、ツネがその占有耕作を始めたのは昭和二六年はじめである。したがつて少くとも右二筆の田に関しては、その後に締結された右賃貸借契約により第一審原告がなよからその引渡を受けるべきいわれはなく、現に第一審原告はその引渡を受けなかつたものである。

原判決の認定のように、第一審原告がなよとの間に右二筆の田に対する賃借権を放棄しその代償としてなよが本件農地に対する小作料を当分の間受け取らないことを約したというが如きは全く事実無根であり、第一審原告は右賃貸借契約締結以来本件解除許可処分までなよの再三の請求にもかかわらず三カ年間小作料を全く支払わないのみか実母なよと実子京子を扶養せず、その生活を破たんにおとし入れたものである。

(ホ)  以上いずれの見地からしても第一審原告には農地法第二〇条の信義違反行為があつたもので第一審被告のなした本件解除許可処分にはなんらの違法がない。

(証拠省略)

理由

一  第一審被告が上野なよの申請にもとずき昭和三〇年五月二六日青森県指令第四〇五〇号をもつて別紙目録記載の農地(以下本件農地という)についての上野なよと第一審原告との間の賃貸借契約解除についての許可処分をしたこと、および第一審原告が同年六月二八日ころ右許可処分を不服として農林大臣に訴願し、昭和三四年九月五日付で訴願棄却の裁決がなされ、その裁決書が同年一〇月九日第一審原告に送達されたことは当事者間に争いがない。

第一審被告は、本件訴のうち右賃貸借契約解除許可処分の取消を求める訴は、右処分に対する訴願の提起後三箇月を経た日から更に行政事件訴訟特例法第五条に定める六箇月を経過した後に提起されたものであるから不適法であると主張するので案ずるに、本件訴状の記載およびこれに押されている原裁判所の受理日付印によれば第一審原告が前記賃貸借契約解除処分の取消を求める訴を含む本件訴を提起したのは昭和三三年八月八日であり、したがつて右訴は前記訴願の提起後三箇月を経た日から更に六箇月を経過した後に提起されたものであることは明らかであるが、行政事件訴訟特例法第二条ただし書の規定により訴願を提起した日から三箇月を経過し訴願裁決を経ずに行政処分の取消または変更を求める同条の訴を提起できることになつた場合の出訴期間について同法はなんら特別の定めをしていないし、また訴願についての裁決がなされないうちはその係属により当該行政処分は行政的にも確定し得ない状態にあることから考えると、右訴は、その出訴期間についての一般規定である同法第五条により、後日訴願についての裁決がなされそれがあつたことを知つた日から六箇月もしくは右訴願裁決の日から一年のうちのいずれか早く到来する日まではいつまでもこれを提起することができるものと解するのが相当であり、したがつて本件訴のうち前記賃貸借契約解除許可処分の取消を求める訴は出訴期間内に提起されたものとして適法なものであつて第一審被告の前記主張は採り得ない。

そこで進んで第一審被告のなした前記賃貸借契約解除許可処分の適否について判断する。

第一審被告は、まず、上野なよと第一審原告との間に昭和二七年五月三〇日に締結されたことになつている本件農地についての賃貸借契約は上野なよの全く関知しない間に締結されたことになつたものであつて、第一審被告のなした前記賃貸借契約解除許可処分は右賃貸借契約が本来無効のものであることを宣言する趣旨でしたものであり、かかるものとして適法であると主張するもののようである。しかしながら第一審被告は右のような主張をする以前は第一審原告が昭和二七年五月三〇日中里町農業委員会の許可(当時は旧農地調整法が施行されていた時期であつて右許可は同法第四条にいう「承認」の趣旨と解される)を得て上野なよからその所有の本件農地を賃借したものであるとの第一審原告の主張を認めてこれを自白していたものであることは本件訴訟の経過によつて明らかであつて、上野なよの関知しない間に前記賃貸借契約が締結されたことになつたという第一審被告の前記主張は右自白の撤回を包含するものであり、第一審原告がそれに同意しないことはその弁論の全趣旨に徴して明らかである。よつて右自白撤回の許否について考えてみるに、当審証人上野なよ、工藤ツルエはいずれも上野なよが第一審原告に本件農地を賃貸したことがないように証言しているが、これらの証言はすぐ後に示す証拠に照らし措信できず、第一審被告の全立証によるも前記自白が直実に反してなされたものとは認められず、かえつて当審証人古川幸之助、木村三郎の各証言および成立に争いのない甲第一号証によれば、前記自白はまさに真実に合致したものと認められるから、これ以上判断するまでもなく第一審被告の前記自白の撤回は許されないところである。してみると、第一審被告のなした前記賃貸借契約解除許可処分がもし前記賃貸借契約が本来無効であることを宣言する趣旨でしたものであるとするならばこれを適法なものとみることはできないわけであるが、前叙自白にかかる事実それに成立に争いのない乙第一号証、第二号証、第三号証の一、二によれば、右許可処分は前記賃貸借契約が本来無効であることを宣言する趣旨でなされたものとはとうてい認め得ないから、これをかかるものとして適法とする第一審被告の主張はその前提を欠くものとして理由のないものである。

さてすでに述べたとおり第一審被告が昭和二七年五月三〇日上野なよから本件農地を適法に賃借したことは当事者間に争いのない事実であるが、第一審被告は第一審原告が上野なよから再三にわたつて小作料の催告を受けたにかかわらず本件農地についての昭和二七年度ないし昭和二九年度分の小作料を支払わず、その実母であるなよの生活を破たんにおとし入れるのは不信行為をしたものであるから、第一審被告のした前記賃貸借契約解除許可処分は適法であると主張し、これに対し、第一審原告は本件農地を賃借した際それと同時になよから賃借した北津軽郡中里町大字大沢内字住吉五三番および同所五四番農地(以下前者を五三番農地後者を五四番農地という)はその後本件農地の小作料支払に代えてなよに返還したから、小作料滞納の事実はないと主張するので検討するに、甲第一号証、当審証人木村三郎、原審での第一審原告本人の各供述により真正に成立したものと認められる甲第二号証、成立に争いのない甲第三、第四、第五号証、第八号証の一、二、乙第一、第四、第五号証、原審証人大川千代作、工藤ツルエ、前田芳雄、当審証人古川幸之助、木村三郎、工藤ツルエ、上野なよ、和田ツネ、田村正雄の各証言および原審および当審での第一審原告本人尋問の結果を総合すると、第一審原告は上野なよ(明治一九年一二月一日生)の長男であつて、昭和二一年秋ごろ満洲から青森県北津軽郡中里町大字大沢内二夕見三二八番地の生家に引き揚げてきたものであるが、当時その実家に戻つていた妻は第一審原告のもとに皈らうとしなかつたので妻と離婚し、結局実母なよ、実子京子(昭和一五年一二月一二日生)、それに第一審原告の異父妹である工藤ツルエといつしよに暮すことになり、昭和二二年以降それまでに人に小作させてあつたなよ所有の五三番農地この反別九畝二五歩、五四番農地この反別七畝二〇歩や本件農地を逐次返還してもらつてこれを自ら耕作し、なよらを扶養していたものであること、昭和二四年秋第一審原告はたまたま同町薄市に炭焼き仕事に行つたときに山谷ハツと知り同女と内縁関係に入りそのころから薄市の同女方に住みつき、そのためなよや京子らと自ら別居するようになつてしまつたが、それでも前記農地の耕作はハツ方から通つてこれを続け、なよらの生活もみていたものであること、そのころ第一審原告は商売のため薄市農業協同組合から買受けた木炭代金債務につき自分の所有名義になつていた前記生家である家屋に抵当権を設定したのであるが、右代金債務の支払を怠つたため昭和二五年右抵当権を実行され、その結果同年一一月ころなよらが居住していた前記家屋は解体され、持ち去られてしまつたこと、それでなよはやむを得ず本件農地等を処分して住居家屋を新築するための資金を調達しなければならないはめになつたのであるが、その際なよも第一審原告もともに、本件農地等を他に売渡した後もその耕作権だけは自分らの手に確保しておこうと考え、そのころなよから第一審原告に対し本件農地および五三番農地、五四番農地を賃貸することにし、第一審原告からなよに対しては実質上はなよや京子の扶養料としてであるが形式上は小作料として毎年精米一〇俵を渡すことにしたこと、ついでそのころなよは和田ツネに対し五三番農地と五四番農地とを売ることにし、その所有権移転についての知事の許可をもらうまではとりあえずこれらの農地に抵当権を設定しておくことにして和田から資金を得てささやかな住居家屋を新築したこと、第一審原告は昭和二六年度には前記農地全部を耕作してなよに精米一〇俵を渡し、昭和二七年五月三〇日に前記賃借権の設定につき中里町農業委員会の承認を得たこと(本件農地のみに関する限り同日右承認のあつたことは当事者間に争いがない)、第一審原告は昭和二七年度にも前記農地全部を耕作したのであるが、同年はなよが人を使つて相当量の稲束を田から直接に持つていつたということでなよに対し精米一〇俵を渡さず、なよや京子の生活を全くみてやらないようになつたこと、それでなよは生活に窮し和田ツネから借金を重ねていたが、その返済などはとうていできない有様であつたので昭和二八年春ころかねて同人に売ることにしてある五三番農地と五四番農地を同人に耕作させていくぶんなりとも責をふさごうと考え、第一審原告からこれら農地を事実上返還してもらつたうえ同年度からこれらを事実上和田ツネに耕作させたこと、したがつて第一審原告は昭和二八年度と昭和二九年度には本件農地だけしか耕作しなかつたが、両年度ともなよから米をくれとしばしばいわれたにもかかわらず同人に米も金銭も全く渡さなかつたこと、以上の事実が認められるが、前叙五三番農地および五四番農地の返還が本件農地の小作料の支払に代えてなされたものであることについては第一審原告の全立証によつてもこれを認めることができない。もつとも原審証人大川千代作、原審および当審での第一審原告本人はいずれも、第一審原告が五三番農地と五四番農地とをなよに返還したときになよが向後本件農地の小作料の支払いを受けなくともよいと言つたかのように述べているが、なるほど第一審原告が五三番農地と五四番農地とを返還する以上その賃借農地が減少して本件農地だけとなるのであるからなよが向後従前どおりに年一〇俵の米は渡してもらわなくともよいと言つたかも知れないが、本件での小作料なるものがなよや京子の生活に欠くことのできない扶養料の性質をもつものであることからすれば、なよがその際向後本件農地の小作料を支払つてもらわなくともよいなどと言つたとはとうてい考えられないところである。しかして第一審原告が以上認定したように、少くとも昭和二八年度および昭和二九年度の本件農地の小作料の支払を全く怠つたことは、その小作料が農地法の適用上いかほどの金額とされるべきものであるかはこれを問わなくとも、信義に反する行為であると断ずるに充分であるから第一審被告のなした前記賃貸借契約解除許可処分は適法なものといわなければならない。そうとすれば右許可処分の取消を求める第一審原告の請求は理由がなく棄却を免れないものである。

二  第一審被告が昭和三二年八月三一日青森県指令第六五七〇号をもつて本件農地の所有権を上野なよから和田ツネに移転するについての許可処分をしたことは当事者間に争いがない。ところで当審での第一審原告本人尋問の結果によれば、なよは本件農地についての前記賃貸借契約解除許可処分を得て間もない昭和三〇年六月ころ第一審原告に対し本件農地は向後自分の方で耕作すると申し向けたことが認められるが、これはなよが第一審原告に対し本件農地についての前記賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした趣旨のものと解される。しかして前叙認定の事実関係のもとでは右意思表示により前記賃貸借契約は有効に解除されたものといわなければならない。そうとすると第一審原告は本件農地につき賃借権を有しない者であるから前記所有権移転許可処分の効力を訴をもつて争う利益を有しないといわなければならない。したがつて第一審原告の前記許可処分の無効確認を求める請求も、またその取消を求める請求もいずれも棄却すべきものである。

三  以上のとおりであるから原判決を前示判断にしたがつて民事訴訟法第三八六条および第三八四条に則る趣旨で変更し、訴訟費用の負担につき同法第九六条第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤規矩三 佐藤幸太郎 宮崎富哉)

(別紙目録省略)

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